一期一会を旨として臨むichigoサポートの日記

日々の出来事を起業と神秘世界にまつわる事をテーマとしてブログに残します。

赤坂迎賓館一般公開での見学 2016.12.25日曜日

このブログを書いている今日から少し前になりますが、12月25日赤坂の迎賓館に一般公開で行きましたよ。

迎賓館赤坂離宮の一般公開について : 迎賓館 - 内閣府

 

これ実は今年2016年から始まったのですね~ぜんぜん知りませんでした。

under-the-veil.jp

申し込みは抽選だそうです。

でも12月25日のクリスマスにとれたのはラッキーなのか、割と枠に余裕があるのかは判りません。

 

ともかく、貴重な機会をくれた同行者へ感謝でっす。

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沿革

東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)に建てられた。

迎賓館 - Wikipedia

東宮御所っていうのは、皇太子の居所だそうです。まあ、西洋趣味のお屋敷を作ったのもです。

それが、戦後にいろいろな用途で使われたそうですが、池田勇人の発案で国の賓客を迎える施設として迎賓館として整理されることになり田中角栄政権の時1974年に完成したのだって。

迎賓館って思ったより最近になって出来たのですね~

 

四谷駅から徒歩で迎賓館の西門へ。

 

途中、正面の門をスマホで取りました。ライトで逆光ですが。

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この正門?まえは大きな通りになっていてこの直線は普段は道路としては使われていないのですね。

国賓が来たときは正門を開いて、この通りをご一行のお車が通るのでしょうね。

 

西口で入場券(当選の証明)を見せて中に入りますが、そこにセキュリティチェックのポイントがあって、空港の様にX線のボディチェックがあります。

 

チェックが終わってから券売機で入場券を買います。この発券機は万札が使えないようです。

 

正面の広場と車寄せではカメラの使用が許されています。建物の中は一切撮影禁止。

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車回しのある正面の玄関。

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建物の内部は、写真が撮れませんでしたが、赤い絨毯に沿ってきらびやかなお部屋(~の間)を順路に沿って見て回ります。

 

入って最初のところでは係員から、階段の手すり以外は一切手を触れてはならない、スマホやカメラは荷物の中へしまえと注意されます。

 

また民間の警備保障会社のガードマンが誘導などしていて、二階に上がったところで「国賓の方と同じように赤い絨毯の真ん中をあるいてください」って言ってました。

 

国賓と同じように歩け言われてもな~って思いながら歩いていると、近くの人がその警備員に、それはエレベーターですかって聞いたら、「そうです陛下と国賓しか乗れないエレベーターです」と言っているのが前言と折り重なって変な違和感とともに耳についた。

 

革命は既存の支配勢力を打ち倒す、そのイメージは最後には王宮に押し寄せる群衆が思い浮かぶ。近いところではフィリピンでそんなことが起こったニュース映像を覚えている。どうも、豪華絢爛な洋館は革命で倒される支配者の住処の象徴のように感じる。

 

わたくしは皇室を重んじる日本人で、日本で民衆による暴力的な革命など起こるべきではないと考えていますよ。しかし、民衆をそそのかすことはいろいろな手段で出来るのですよ、、ってな事を思った。

 

さて、迎賓館一般公開では、それぞれの「間」の中で、その場所で撮影された要人の写真が置かれていて、この場所で記者会見したとか何かの発表をしたなどと言うことが判り少し臨場感があった。

 

わたくしが記憶している迎賓館の出来事は米大統領のパパブッシュが晩餐会でゲロを吐いて倒れた事件だ。

 

ネットで探すと出てきました~:

www.youtube.com

1992年1月8日の出来事です。動画で、介助する婦人と当時の宮沢喜一首相

 

これは事件としてWikipediaの英語版に出ているのがすごいですね、、、

George H. W. Bush vomiting incident - Wikipedia

 

これは晩餐会をする「花鳥の間」だったのですかね。さすがにそんな解説はなかったですが。

 

わたくしの一番印象に残ったのは「朝日の間」でっす:

 朝日の間(あさひ-の-ま)名称は天井に描かれた「朝日を背にして女神が香車チャリオット)を走らせている姿」の絵に由来している。天井画は長径8.26m, 短径5.15mの大きな楕円形である。室内は古典主義様式であり、壁には京都西陣金華山織の美術織物が張られている。広さは約200平米ある。国・公賓用のサロンとして使われ、ここで表敬訪問や首脳会談などの行事が行われている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%8E%E8%B3%93%E9%A4%A8

古代の戦闘馬車に乗る朝日の女神か~絵的には日本的ではないけどなかなかインパクトあるかな。

 

こんど迎賓館を新たに作るときは、天照大神さまの天井画にしてほしい。

 

順路最後の広間は「羽衣の間」だったと思う。そこに宿泊者の記帳が展示してあってこれまでの宿泊人数が出ていた、数を思い出せないのだけど、1975年から今まででこれだけしか宿泊していないのだったらホテルとしては大赤字だなっとつまらない冗談を言って本館を出た。

 

今回は訪問記で、いつもの聖なる場所、神社、仏閣

ichigo2015.hatenadiary.jp

とも

博物館、美術館とも違う珍しい体験でしたね。

今年、この機会があったことに感謝致します。