金運が良くなるトイレ掃除をして考えた 2016-2-7
運を意識してトイレ掃除をした
その中で「おトイレの蓋をして、キレイにしておきなさい」というお話しがあった。
それで、今日は意識してトイレ掃除を行った。
金運よりもその行為を大切にしたい
以前はクリーナーさんに週一回来てもらっていたので、あまり自分で掃除をすることはなかった。しかし、トイレ掃除をして金運が良くなると言う話を聞いてから自分でもトイレを掃除をするようになった。
自らトイレ掃除を行うというどこかの会社の経営者が、掃除するトイレは汚ければ汚いほど有り難くやれると言っていた。その方のトイレ掃除は、より問題へ直接、対応する感覚を磨くために「素手」で掃除をするそうだ。
自分でトイレを掃除すると大変気分が良くなる。一時はトイレクイックルをいくつか常備して掃除をしていた。
しかし、昨年退職した後の失業中の期間、収入がなくなった事への不安からトイレクイックルを使うことさえ節約しようとした。それは大きな間違いだった。そのあげく、だんだんとトイレの掃除が億劫になりトイレは汚くなって行った。
今はその状況からは立ち直り、トイレは一定の清潔さを保っている。この経験からトイレのキレイさと精神状態には関係があると思っている。今日、斉藤一人さんのトイレの話を聞いてからは意識して習慣的なトイレ掃除を始めようと思っている。
ある気配りを日々の習慣と出来るか
それから、トイレに蓋をするのはどういう事だろうか。お話しの中では、トイレは「あちら側」(向こう側だったか?)と繋がっているからとのことだった。あちら側とは、いわゆる「霊界」のことのようだ。
このことで、僕にとっては、霊界の存在を信じるかどうかは重要な問題ではない。先ほどのトイレの掃除の一環として、いつもトイレの蓋は閉めておくという気配りを行う事が習慣として出来るかどうかが問題である。
自らに日々課すことの継続性と変化について
ここまで書いてきて思うのだけど、日課や習慣を自分で増やして行くことはそんなに難しいことでないと思っている。そのために、何か杓子定規になって必ず毎日やらなければならないと自分を規則で縛らなくても良いと思う。願掛けとして、満願まで必ず毎日やり遂げること自体を目的にするならば別だけど。
自分に取って良いことならば、出来るところで出来るだけやればいいのだ。絶対毎日欠かさずやるとか決めてしまうから、一度でも出来ない日があるとそこで挫折してなかなか再開できないでいるのだ。つまり、自分は何のためにそれをやるかを自分でしっかりと判っている事が重要なのだ。
また昨年の失業中の時期のことだが、その頃、毎日ブラジリアン柔術の道場へ行っていた。そのとき、先生から、毎日練習するならば、必ず毎日スパーリングをする!などと先に決めてしまわないで、その日の体調とか気分によって変化を付けて練習することをご助言いただいた。大先生のヒクソン・グレーシーも朝、目が覚めてからそのときの身体や心の状態でその日のテーマを決めているという。
流石、一芸に秀でた方々である。こうした方々は一定のこと、例えば打ち込み稽古や連続のスパーリング、を相当な回数、時間、連続的に、継続的に行う事の効果や重要性が判っていてそれを実践している。だからこそ、それを継続して行く上での「変化させる」事の大切さも判っているのであろう。
トイレ掃除からそんなことを考えたのでした。