正月能に日本伝統の静中の動をみた
正月に能を見に行く
正月能をご覧になったことがあるだろうか?
自分は能などこれまで見た事もないが、「翁」という正月などの格別のお祝い時に行う演目に招待してもらった。
場所は神楽坂の矢来能楽堂である。
江戸情緒を感じる神楽坂から少し入ったろころにある古い施設で、木製の古い舞台はすごく趣がある。
思ったよりも客席と舞台が近いことも印象的だった。自分たちは一番前の列だったので余計にそう思われた。
能と狂言
正月能と書いたが、実際は観世流という能の一派の一月の定例会だそうだ。この日は三つの演目があり、最初が「翁」であとの二つは、狂言と能だった。
最初の翁は、狂言師でタレントとしても有名な野村萬斎さんが出演していた。能と狂言の違いは自分にはなんとなくしか判らない。
静謐の中で繰り広げられる異次元的な動き
能の会場は静まり返っている。この静寂は観客もその静寂の一部と化しているかのようで一般のライブにもまして臨場感がある。
そんな静寂の中、役者たちは音を立てずに舞台に入ってくる。音はかすかな摺り足の音だけ、、、はっと気づくと舞台に役者たちがすでにズラリと並んでいて、驚く。
能の静寂さは、水墨画のようだと思った。水墨画の背景である白い部分、それが揮毫された絵とともに空間を構成する重要な要素であるように。
最初に書いたように能は初めて見るし、何の知識もないのだが、能役者の足の運びは非常に興味深い。彼らは基本的にすべて摺り足で移動する。地面を蹴らないのだ。そして、体の軸が立っている。それは、武道の達人の所作を思わせる。
中でも印象に残ったのは野村萬斎さんの舞だった。その運足が凄い。たとえば、横へ足を交差して踏み込む際に、かなり高く脚を持ち上げているのだが、体はまったくブレず、まったく無音で、動きが消えているような感じがした。まさに静中の動というやつか。
そして、鈴のついた棒を片手に、反転してこちらへ向かい合った、その所作は異次元的でさえあった。ふつうの人間ではなしえないようが動きが随所に見て取れる。
まあ、凄いものを見せていただきました。でも、能にはまって、足繁く観に行ったり、習ったりはしない。それは別のことだ。年に一回、ライブで観ればいいかな。
興業収益とお習い事
ところで、能は興業として成り立っているだろうか?能役者?さんたちはそれが生業でしょう。しかし、聞くところによると、自分たちの行う能のチケットよりも、習い事で能とか舞をやっている方々の発表会が大きな収益源となっているんだって。
まあ、芸術の世界は金持ちのパトロンがいることで成り立つのは洋の東西や時代を問わないのかね。でも、最近はそういう習い事で大枚を使うお金持ちが減ってきているそうです。そういえば、今日の観客も年配の方が多かった。
日本古来の伝統芸能、伝統芸術は残してもらいたいけど、経済行為の要素が入るといろいろ問題があるような感じです。それも、ある種、起業のチャンスかもしれませんが。